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2011/07/29

日本国を産む・古事記

日本は神話の国、その元になる日本の歴史書籍の源に古事記がある。
その書き出しにこうある。

「天地が創造し、7代の神が交代し、最後にイザナギとイザナミが生まれた。
・・・中略・・・イザナギが黄泉の国(死霊の国)から帰ってきて、
穢れた身体を川の中で禊(みそぎ)を行なう。
左の目を洗って天照大御神(アマテラスオオミカミ)を産み、
右目を洗って月読命(ツクヨミノミコト)、
鼻を洗って須佐之男命(スサノオノミコト)を産む」とあります。


即ち、日本国は水の中で国づくりが行なわれたことになります。
正に、「水の国・日本」の原点が此処にあります。

水が喉をうるおすためのものだけでなく、身を清め、体を鍛えるため、
敬い尊ぶものとして水が日本民族の中に確立されている所以がしっかりと明記されています。

従って現在においても神事に欠かせない水、
庶民に受け継がれている文化にも水は欠かすことが出来ません。
日本民族の本質には「水」があるのです。

「水と私」と言うテーマで考えてみましょう。

2011/07/26

日本人なら・・・

原子力発電が津波によって破壊されていまでも
毎日空気と水が汚染されている。
これは津波が原因ではないと思う。

原子爆弾による放射能を被爆した唯一の国なら、
そして毎年二度と繰り前しませんと誓っているなら、
他国が電力を原子力に頼っても日本は絶対行なわないとする姿勢が、
被爆国日本の態度ではなかったかと悔やまれてしようがない。

今年も原爆の日がもうすぐやって来る。
広島・長崎で被爆された方々になんと言ってお詫びすればいいのだろう。
原子爆弾と原子力発電はいろんなところで違いはあるが被爆したら
同じ症状に苦しむことは同じであろう。

この時いま日本国らしさ、日本人らしさについて
深く考えてみる絶好の機会だと思う。
3・11の被害に遭われた方々の犠牲に報いるためにも、
生かされている私達がこれからの方向を見極め、
行動することが大切だと強く自覚した。

日本人が世界に向って手本となることを行い。
そしてその事を日本から発信することをしたいと思う。
まず日本人が「水の国・日本」を意識しよう。
次に「水が好きで、大切に使う」亊を実行しよう。
次に「一人一人が今日、水とどう関わったか」について考えてみよう。
それを発表したらどうだろう。

私は70歳これからの人生をこれに賭けようと決心した。
12月パリのルーブルで行なう私の展覧会場では世界中の人達に
「水の祈り」を表現し、そして講演会では「水への感謝」について語る。

2011/07/25

台風6号が来た

この台風はゆっくり進んで大雨を降らせた。
被害も出た。毎年のことだから、慣れっこになっていて、
まさか自分のところが危ないと思ってもいない。
それも想定外というのだろうか。

今回の台風だけにはお願いをした。
東北地方へは行かないでくれ、せめて関東ぐらいまでで、
太平洋に消えてくれと祈らずにはいられなかった。
さすが水の世界も聞き分けよく、どこかに消えてくれた。
ちゃんとわかってくれているんだと嬉しかった。

雨が降ると何時もこれで生きていけるありがたいことだと思う。
この雨だけが水を得られる唯一の手段なのだから。
「水は天からもらい水」なのである。

そう思うと台風も、大雨も上手に付き合っていかなければならない。
嫌がるのでなく、迎え入れて今回はこの程度でいいから、
水の足らないところに行ってとお願いするのもいいかもしれない。

今ある水は35億年前からある水と同じものなのだから、
キリストの涙、仏陀の汗、聖徳太子の鼻水も地球のどこかに今も存在している。
その水を私もいつか飲んだかもしれない・・・。

水は自然界の通信手段と言われているので、
私達の願いが水の世界に通じるかもしれない。
私はそれを信じているから川で作品を制作する時、
水に向って「良い作品を取らしてよ」と声を出してお願いする。
時にはその願いが水に聞こえたなと感じることもある。

2011/07/22

水の国・日本

コメントをいただいた。何故「水」のことを書くのか?
何を伝えようとしているのか?とメールが届いた。
お答えします。

今、日本人に「日本はどんな国?」「日本人はどういう民族?」
と聞かれて日本を表現することができるのだろうかと疑問に思った。

昨年ブータンの国民の意識調査で93%の人達が
ブータンは幸せの国だと答えた。これは凄い、
国民が国の豊かさを実感している。
そんな素晴らしい国に行ってみたい。
このような意識を持てることが国力だと思う。

そこで思い起こすと、4~50年前の日本にもそのように胸を張れることがあった。それは世界一安全な国、水道から直接飲める水がある。
しかもタダでと、外国人から評価されていた。現状はどうだろう。

日本は今回三次災害にしろ生命を生かす水と空気を
放射能で汚染してしまった。
情けない、恥ずかしいという気持でいっぱいである。
その罪を償わなければならない、人類の先頭に立って、
水と空気をもうこれ以上汚さないようにしようと、
自戒を込めて日本からメッセージを発信したいと強く思う。

その前に日本人が「日本は水の国」なんだと再確認して、
ブータン国のように国民が意識することから始めなければならないと気が付いたからだ。

日本には「水の国・日本」を取り戻すための素晴らしい実績を先人達が残している。
世界に向って「水の国・日本」に来てください。
国民が水を家族の一員のように大事にしているところを見に来てくださいと、
胸を張って言い切れる日本を取り戻したい。

30年間水と会話してきた私だから出来ることを始めた。

Photo:Yu Nozaki

2011/07/19

日本の水は歌う

私達が小学校に入学した頃まず最初に教わった歌は「春の小川」だった。
高校を卒業して都会に出てきて、故郷を想い出しながら口ずさむ歌は、
「故郷」と「春の小川」でした。

何故この二つが何時になっても忘れられないのかと思うと、
歌い出すと田舎の風景が鮮明に想い出されることと、
やさしいこころになれるからではないだろうか。

特に春の小川の情景は日本人の情操教育に強い影響を与えたと言えるでしょう。そこには水と人の関係が優しく歌われています。


春の小川はさらさら行くよ
岸のスミレや蓮華の花に
姿やさしく色美しく
咲いているねとささやきながら。

春の小川はさらさら行くよ
海老やめだかや小鮒の群れに
今日も一日ひなたで泳ぎ
遊べ遊べとささやきながら


日本人のこころの中に川はさらさら流れると美の意識を織り込んでいます。
また水がささやきながらと感情を表しています。
この歌の言葉に日本人の水への想いが込められているようです。


2011/07/17

みんな水の中

私達が日頃見ているもの達、木、石、草、風、地、等に
水を認識して見てはいません。

しかしそれらにはしっかりと水が含まれています。
だからそれらは形を保っていられます。

石に含まれている水分を高速遠心分離機で取り除いたら、
その石は砂になってしまいます。

この地球上にある物質はすべて水にたっぷりと浸かっているのです。

「みんな水の中」この水が変化することで、その物が変容していく、
即ちひびが入ったり、割れたり、枯れたり、腐ったり、壊れたりします。

物事が常に変化することを「無常」と言います。
その変化する様子が時の流れではないだろうか?

時は水が変化すること。だから、この地球は一時も休まず変化し続けている。
時をつくる水が変化変容しなくなったら時が止まる。それは死である。
水は一瞬たりとも同じ状態でありません。

即ち、水は時の極である刹那を表しながら命を生かすものなのです。


2011/07/15

「山水経」に学ぶ

道元禅師の正法眼蔵の中に「山水経」がある。
私には難解の書だから、その道の先生に教わりたいと思っている時、
ご縁をいただき福井の国生山・佛性寺、松岡・天龍寺住職 笹川浩仙さんに
お目にかかることができた。

師は座禅道場を広く解放し若い人達から、
笹川老師と呼ばれ人気があります。

曰く、書かれている文字にとらわれず、声を出して読み、
フィーリングで捉まえろと教えていただいた。

その教えにより、自分勝手に解釈してみると、
山や水を見るとき山や水の形にとらわれず、
自分が山や水になって見ろという。

そんなことができるのかと思うが、私が30年川に入って水と遊んできて、
少しは水のことがわかると自惚れて水を見ると、「みんな水の中」と言える。

今日のように35度の外気であっても57%の水を含んでいる。
あらゆる物を見るとき水を抜きにしては物は見れない。
岩を見るときも含まれている水も一緒に見る。
そうすると岩が今までと違って見える。

また山も水も永遠の過去から時を経てきて今がある。
だから山は山の真実を行っている、水は水の真実を行なっている。
このように人が自然と向き合う姿勢を道元さん(日本の先人)は私達に教えている。
私はこれから「山水経」を読む。

笹川浩仙老師    写真: 野崎 悠

2011/07/13

水が泣いている

日本列島に降った雨は一滴の水も無駄にせず、
日本国中で生かしている。

山はたっぷりと水を含み、平地を横切る川の周辺では農業に産業に、
また海までたどり着いた水達は山や野で蓄えた養分を一気に海の生き物達に供給する。日本国をぐるりと取り巻く海は養分いっぱいな資源の宝庫なのだ。

自然からの恵みを全身で受け止めている日本列島をイメージしてみると、
豊かな気持になれるね。即ち「水の国日本」なんだ。
この水が生き物達に生きる力を与えている。
台風も梅雨前線も自然からの恵と思えば仲良く付き合うことをしなければもったいない。

地表の半分は常に雲に覆われて、天と地を約7~10日で行き来をしている水は35億年前から変わらずにある。
汚れた水はどこかに捨てて、新しい水がどこからか入ってくるのではない。

水が流れ、循環して己の身体を浄化しているから新鮮な水が常にある。
今その水が一番嫌うもので侵されている。
浄化作用が出来ない物質、それが化学物質、特に放射能なのだ。
残念ながら毎日汚染されている。水が泣いている。

2011/07/11

水遊びと禊(みそぎ)

子供の頃水遊びで肝試しがあった。
水は3尺下るときれいになると老人に教えられた。
友が小川の上流で小便をする。
3尺流れてきたところでその水をすくい飲む遊びなのだが、
たまに泡も一緒に流れてくるからそれを飲むには勇気がいる。
こんなことで遊びになるのが子供の面白さである。

しかしこの水の特徴が水の本質で、
水がいのちの水と言われる所以である。

日本の地形は列島の背中に山脈があり、
そこに降った雨は急峻な谷を下って流れて行く。

水は流れて自分の汚れた身体を浄化します。
だから日本の水はやわらかで、清らかなのです。

その清新な水で禊をし、心の汚れや垢を落として再出発する、
やり直しをする、再生する日本人の強さです。

それを水の本質に見出した先人の賢明さに感心させられます。
水の浄化力については後日書こう。

2011/07/08

水は家族の一員だった

昔、日本の家には水甕(みずがめ)があった。
朝起きたら水甕のところに集まり、歯磨きする人、
顔洗う人、朝食をつくる人で混雑する。

水甕に入れてある水は家族の誰かが運んできたもの。
その運ぶ辛さを皆がわかっているから、使う水は大事に大切に使う。
まだ使える水は別の甕に入れて、草花や水撒きに使う。
そこの水甕に1人が1日7~8回は行く。水甕中心の生活なのだ。

また日本のお風呂は浴槽のお湯は汚さない。
外できれいに洗ってから、お湯に浸かる。
だから2~3日お湯焚きして使う。
そうして家族全員が同じお湯に浸かる。
即ち、水は家族の一員的な存在として扱われてきた。
西洋のバスタブは水を汚す。1人用として使う。
水に対する向き合い方が違う。

日本の水は日本人にとって対象としての物でなく、
身内の者という感覚が強かった。

2011/07/07

7月の雨と日本人

今日もどこかで雨が降っている。
今年の梅雨は九州地方に大雨を降らせている。
この時期の雨は日本人が大好きなお米をつくる必要な水である。
田圃に満たされた水の中に整然と植えられた苗が風に揺れている。
この景色が日本人のこころに滲みこんでいる原風景なのだ。
いま日本を上空から一望すると列島全体がすっぽり水に浸かっていて、
緑の風が吹き渡っている。そのように想像すると、日本は水の国なんだと思えるね。

日本は水が当たり前にあるから、水のありがたさが実感できないが、
歴史の事実をみても、水から日本人が受けた影響は大きいものがある。
それらのことをこれから書いてみよう・・・。