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2012/08/28

水とダイアモンド (36) 無くてはならないもの3

人間が人間らしく生きるということは、
時間を持つと言うこともその一つだろう。

時間は繰り返すという継続とは違って、その時その時が意味を持つと言うことではないだろうか?動物や植物の繰り返しは固体の継続でしかない。
時間は動き、流れ、循環して何かの意味を生じることになるのだが、
その過程で、人の気持や想いや願いがその結果に繋がる。
しかしそれらの内的要素は外からは見ることはできない。
その人の中に内在しているものだから・・・
その気持・想い・願いが無ければ時間は存在しないことになる。
そうすると時間とは人がどう思うかによって変化する現象と言うことになるのではないだろうか?人間らしく生きるには「心の想い」こそ無くてはならないものだろう。
時計の時間は単純な継続で流れではない。


2012/08/25

水とダイアモンド (35) 無くてはならないもの2

23日夜クラシックバレーを見に行った。
年に一度のバレー鑑賞で、今年で3回目、何故か行く前からわくわくする。
お目当ては大野たま江さんである。タオの会の卒業生で、
5歳のときからバレーを習ってきた。今回は2幕であるがどちらも主役を演じる。
見終わって深いため息と同時に素晴らし熱演に感動し、熱いものがこみ上げてきた。
それは彼女の全身から流れ落ちる汗がダイアモンドのように光り輝いていたからです。
この一年間練習で流した大量の汗の結晶で心身が磨かれて、
いのちの光が輝いていたのです。
体内にある水も本人の頑張りも、光も普段は見えていません。
あるかないかもわかりません。
しかし確かにあるのです。見えないところにあるのです。
生きるために無くてはならないものなのです。


2012/08/21

水とダイアモンド (34) 無くてはならないもの1

この地球にダイアモンドが生まれたのはいつの頃かと言えば、
それは定かでないが、60億年前のダイアモンドが見つかっている。
地球が誕生して46億年とすると、地球が無かった頃のダイアモンドが地球上で見つかっている。どこから来たのだろう。

水は約35億年前に生まれたと言われている。
地球表面の7割を占めるほどの水はどこから来たのだろう。
そして二つとも形を変えないで、いまもある。
これは凄いことなのではないだろうか。
しかも水は常に動き変化しながら本質は変わらない。
ダイヤは動かず、不変である。まったく異質なものでありながら、
共通するものを持っている。
それは何だろう?
そして何故なんだろう?・・・・・
科学的にはわからないが、私の感覚では、
多分この地球上になくてはならないものだからなのだろう!
ダイアモンドも無くてはならないものなのです。

2012/08/18

水とダイアモンド (33) お盆

12日飯能市名栗の龍泉寺に行った。
このお寺は私の流水紋制作中に現れた水神像の場所を管理しているお寺である。
7月の展覧会「水の祈り展」にも御住職夫妻にお越しいただいた。
この日はお盆の施餓鬼法要のため檀家さんが集まるということで、
皆さんに水神像を見てもらおうと、住職が企画されたのである。
即ち水神さんの里帰りである。

皆さんが水神像をご覧になった驚きは大きな衝撃だったようですが、
実は私がそれ以上に驚いたことがありました。
それは山間にあるお寺と檀家さんとの絆です。
お寺には500年前の位牌が残っていると言うことですが、
代々受け継がれてきた命の循環をお寺と檀家と一体となって守り続けているという実績です。
その証と一つとしてその日に200人以上の人々がお寺の座敷いっぱいに集まって、厳かにも親しく先祖の供養を行っていると言う光景を見て、感動しました。
このようにして守られている命の尊さはこの後500年後も1000年後も営々と受け継がれていく、このようなことが「永遠のいのち」と表現されることなのでしょう。
久しぶりに未来の光を実感した一日だった。
まさにこのことがブログのタイトル「水とダイアモンド」なのです。
今を生きている人は「水」、未来(永遠)の光は「ダイアモンド」です。

龍泉寺

お盆の施餓鬼法要

2012/08/14

水とダイアモンド (32) オリンピック

2週間に亘ってロンドンオリンピックは楽しい時間を提供してくれた。
競技そのものの面白さは言うに及ばずだが、戦った後の選手のインタビューが面白い。
聞いていて選手の素直な気持が聞けるのは、臨場感が感じられ嬉しい。
特に日本人選手の言葉はやはり胸に迫ってくるものがある。
異口同音に「感謝」の気持を表している。
両親、コーチ、同僚に対する思いやりの言葉である。
その細やかな心配りができてこそ、真の実力が発揮できるのだろう。
聞いていて人間の素晴らしさを確信でき、地球の未来に希望が持てた時間だった。
メダルはダイアモンドで、喜びは水だと言える。

2012/08/11

水とダイアモンド (31)人と物の共生

ダイアモンドと人が最初に出会った頃は、強くて、
硬くてこわれない物でした。それ故お守りとなって刀や楯にはめ込まれました。その後指環や、首輪につけられ魔よけとしての役目もしていました。
15世紀になり装身具として使われようになり、
かたい絆の象徴として結婚の儀式に欠かせないものになっていきます。その当時はまだ原石のままで指環にはめられています。
輝く美しい宝石の扱いではありません。
男性が愛する人に自分の想いを表現する為に
不変の硬さをダイヤに託した純粋さがありました。
「永遠の愛」をダイアモンドを通して表したのです。
そのような想いが人と物とを一体させ、
物を大切に扱う気持が生まれてきます。
自分に関わる物に自分がどれだけ想いを寄せるかで、
物も自分に近づいてきます。
そこに本当の共生のありかたを見ることができます。
現代は自然界に存在する物と工場で大量生産された物とが一緒になっていて、その違いを区別して使うことが少なくなっているようです。
そして要らなくなったものはどんどん捨ててしまう。
このままいくとそのうち人も物化(ものか)してしまうのでは心配です。 

(写真はバチカンに存在する15世紀に結婚の儀式に実際使われていた指輪のデザインです。)

出典 DIC「ダイヤモンド婚約指環の歴史」

2012/08/07

水とダイアモンド (30)ダイヤの存在意味

ダイヤは何故存在するのだろう。
地球に存在する物にはその意味がある。
人間と関わってお互いを生かしあう。
人はダイアモンドから何を得るのだろう?
このようなことはどんな物質にも言えることで、
物が存在する意味を見つけることが人類の役割だと思う。

人類はダイアモンドを発見し、ダイアモンドの特質を生かし、
美しいものの頂点にまでつくりあげた。
ところが良く考えてみると、その美しさを人が生きていく上での価値として、
生かすことから遊離しているように思える。
ダイアモンドだからと信じ込み、美しいものだからと妄信しダイアモンドを身につける。
何故人はダイアモンドを身につけて喜ぶのだろう?
そこには人と物とが共生する基本的なことが隠されているように思える。
それを次回に考えてみよう。

2012/08/04

水とダイアモンド (29)「月」

八月の入って1・2・3日昼の暑さの代償に自然は夜に素敵なプレゼントをもってやってきた。
14夜15夜16夜と宇宙の半分を昼間のように照らしてくれた。
月光は部屋の奥まで差し込んで眩いばかりの明るさです。
当然のように「月光値千金」のメロディーを口ずさんで一人ロマンティックな世界に浸っていた。人類があそこまで行って帰ってきたという事実をどうしても現実のものとして受け入れることに違和感がある。 
日本の昔物語にある、「うさぎの餅つき」「竹取物語」のかぐや姫の方が私にはぴったり来る。

うさぎは餅をどれだけ搗いたのだろう?
かぐや姫はいまあの月で何をしているのだろう?
と想いをはせるほうが人間らしいと思う。
物と人の関係は人がその物にどれだけ想いを向け、どうしたい、
どうありたいと思うかがいい関係だと思う。

photo : Yu Nozaki