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2012/09/29

水とダイアモンド(45) いまとここ

空気が冷えて草花が色を鮮やかに映している。
雨が上がった翌日朝早く川に行った。まだ全てがずぶ濡れの状態である。
木々の枝からはぽたりぽたりと雫が落ちてくる。
草草の緑がいきいきと伸びている。
川辺に水引きの小さい赤い花が可憐に並んで咲いている。

少し歩いていくと、ピンク色のかたまりが見える。
近づいてみると、やはりそうだ、秋海棠(しゅかいどう)である。
今年の秋海棠に会いたいと思って会えた。
もうこんなに色をのせて静かに華やいで咲いている。
嬉しいな!と自然と心が明るくなる。
森の中に朝陽が射し込んでできた。水滴が輝き始め、
世界中のダイアモンドの集めてきたようだ。
ひときわ強い赤が見える。曼珠紗華である。
なんと嬉しいいまとここなのだろう。


2012/09/25

水とダイアモンド(44) 豊作の水・不作の水

5~6月の重くのしかかかる梅雨空から落ちてくる雨に育てられた苗代が、
水面から一斉に顔を出し、風に揺れていた田圃の景色から半年が経ち、
澄み渡る秋の空気に一面黄金色に輝いる様子は豊かさもたらします。
今年は台風の襲来が少なく豊作の様子で村の鎮守様のお祭りもより賑やかになることでしょう。
一方東北の田圃では津波による塩害で稲穂は育ったがお米が何も入っていない現状を見ると、ただただお気の毒で言葉さえ出てきません。
豊作も不作も源は水であり、良質の水の大切さが身に滲みてわかります。
食べ物の育成に、また果物の美味しさに、昆虫達の生活にも、
私達細胞の生命現象にも水の大切さを想うと今日一日の水との関わり方を見直さなければならなくなります。
いつからではなく、いまのいまから・・・




2012/09/22

水とダイアモンド(43) 小さき者

山に入って道を歩いていて、川の音に聞き入っていると耳の辺りから何かが一つぽとりと落ちていく感じがする。
次に呼吸を意識して大きく辺りの風を吸い込むと何処かの毛穴からスーと何かが抜けていく、今度は目を凝らして太い木の先端を眺めていると、頭の頂上から天空の青に何かが吸い取られていく、たまらなくなって唄を静かに歌うと山の斜面に声が溶け込んでいく。
身体のあらゆるところから、放出される何かが周りに溶け込んで、
懐かしくなるが、自身は小さな存在としてそこにたたずむ。


2012/09/18

水とダイアモンド(42) 魂

昨日のお客様から教わったこと。
この2年の間にご主人・お子様・姉妹を続けて亡くされたご婦人が、
これからをいかに生きていくべきかについて、出された結論が「光」だった。
失意の中から見えてきたこと、それは亡くなった者達と一緒に生きようという悟りでした。

亡くなった者達のお蔭で私は生かされている、
ならばその人達の恩(魂・光)を感じて生き抜こうという覚悟です。
そうなると物質であるダイアモンドは物から魂に変容していきます。
ダイアモンドのエネルギーが亡くなった人々の暖かい光となって私を輝かせてくれると思える人間の優しさ、大きさに震えがきてしまいました。
ダイアモンドよそれに答えてくれと願わずにはおれません。




2012/09/15

水とダイアモンド (41)

昨日10年来の友人で刀鍛治である松田次泰さんを久しぶりに訪ねた。
芸大で絵を勉強したい志をもって北海道から上京してきたが、
何故か鍛冶屋になって日本刀を極めている。
もう既に人間国宝を超える技量を独自で開発しているが鈍であるが故に野に甘んじている。しかしその方が職人としては幸せであろう。

私もダイアモンドを職にするつもりなど毛頭なかった。
が何故かダイヤの本来あるべき姿を極めたと、うぬぼれている。
二人とも誰かにやらされていると思っている。
またそうでなければここまでこれなかったとつくづく振り返る。
だから俺がやったなんて言える自信もない。
人生は不思議で、そういう二人が出会うと言うことも面白い。
多分俺の求めた美意識は誰にもわからない。
わかってたまるかと自負心をたぎらせながら、
いまも鉄を鍛えている彼に拍手を送る。




2012/09/11

水とダイアモンド (40)「梵音海潮音」

観音経の中にある一節ですが、仏教的解釈は専門家にお任せして、
私にとっては流水紋と直接繋がっている言葉です。
西村公朝先生(※)が私の流水紋を見て、間髪を入れず
「これは梵音海潮音」と仰ったのです。
私は「どういうことでしょう」と聞きますと、
先生は「この作品から宇宙根源の音が聞こえてくるね」といって次の事を教えていただきました。

地球が太陽の周りを365日かけて一周する。
そのスピードは時速107000km(秒速30km)である。
地球で起きるいろいろな現象はこのスピードが原因していて、
我々はその中で生かされている。
その速さの音がある。その音を宇宙根源の音と言う。
その音が流水紋から聞こえてくると言うのです。
一枚の紙に現れた水の流れを見て、そのような壮大なイメージを拡げて感得できる先生の力に感心したものです。
(久しぶりに愛宕念仏寺に行き、先生を回想して)

※仏師・仏像修理技師・京都愛宕念仏寺 前住職


2012/09/08

水とダイアモンド (39) 無くてはならないもの6

5日タオの会(※1)修学旅行で京都に行った。
京都は相変わらずの残暑で蒸れていたが、6人が勇んで参加された。
愛宕念仏寺は嵐山の奥にあり、木陰は爽やかな風が流れていた。
本堂の扉を開放して、縁側に座っていると自然のエネルギーを満たした風が全身を通り抜けていく様子が実感できる。
一日中ここにいてもいいとさえ思えた。
久しぶりに機械的な冷風でないほんものの風に会えた。

ここには1200体の羅漢さんがいる。
それを彫った人々の想いと、羅漢さんの願いが境内中に満ち溢れている。
次に清水寺に行く。参拝者で混雑している道から離れ、多寶閣に参拝する。
ここが修学旅行の目的の場所である。ここには何かがあると言うのではなく、
感じる処である。
いままでの参加者の感想も集約して、ほとんどの人が「うん、これだ。捜し求めていたものがここにあった」という確かな手ごたえを感じられ、今回も終えた。



photo : Yu Nozaki

2012/09/04

水とダイアモンド (38) 無くてはならないもの5

前回、違っていることの大切さについて書いた。
だからといって、違っているから違ってていいんだとすると我が儘や傲慢さで人の間がうまくいかなくなる。
そこでやさしさや思いやりの心が大切になる。
このこころは決して表面的なことですまされないので、日常が大切になる。

またその気持は決して表から見えるものではない。
即ち無くてはならないものは外から見えるものではないものが多いようです。
見えないものを大切にする心も見えません。
しかし何時か、何処かで必ず見える形で見えています。
その現れが所作なのです。

日本にはこの所作があります。いまこそこの所作を取り戻す時だと思います。
まずやれるところからやってみましょう。
挨拶・食事・歩き方・姿勢・言葉遣い・装い・これだけでも現状と相当な違いが現れるはずです。
所作の手引きとして本「禅の作法」を紹介しよう。

身体と心が美しくなる禅の作法
(著) 星覚



2012/09/01

水とダイアモンド (37) 無くてはならないもの4

人は一人では生きていけない。
それはいのちが他のいのちと繋がっていたいという働きを持っているからです。

しかし人は常に孤独感を持って生きています。
その寂しさをいくらかでも和らげる事を心がけることが必用です。
そのためには人はすべて違っていると言うことをしっかりと認識することです。
 顔かたちや身体的にも、また考え方や価値観も、従って生き方も当然ながら違っています。
その違いがあるから私が存在する意味があり、他人も同様に存在する価値があります。

日本人1億3千万人みんな違っているのです。
それぞれ一人一人が一生懸命違った生き方をしています。
それが尊いことなのです。 違いがあることが無くてはならないものなのです。
 水も違った動き、流れをして生きています。
 流れの中で時々キラッキラッと輝きながら・・・