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2011/10/31

タオの水 (7)

タオの教えは「いま・ここに」(NOW・HERE)である。
人はその刹那に生きている。

しかし人は、明日ね・今度ね・またね・と後に延ばす日常である。
いま・ここにあるエナジーが最良であると教えている。
確かに・・・喉がかわいたら、そこにある水を飲む。明日には延ばさない。
難しく考えないで、そのように考えれば良い。

そうしたいという欲求が湧いたら、いまやることが一番良い結果が出る。
いままでを思い起してごらん。
後回ししたものは、いまでも手をつけていないね。

水はいまに生きている。いまあるべき状態が水にとって最良なのだ。
水はいま、いまの連続で自ら生きている。水に習えば人の命も永遠になれるかも?

2011/10/28

タオの水 (6)

タオの中に夷・奇・微の世界を表している。
これは人類が戴いている、感じることの大切さを教えているのですが、
見えないものを見ようとする力、聞こえない音を聞こうとする力、
何かを微妙に感じる力があります。

日本民族は先人達が残してくれた心のあり方をいまも受け継いでいます。
樹木や岩や川にしめ縄を渡して神の存在を感じる。
見えないけど居そうだと感じることの素晴らしさを大切にする行為です。

御神輿を担いで「わっしょい・わっしょい」掛け声をかけて神の存在を感じる。
その行いこそが人間が人間らしくある行為なのです。
見えているものは見えていないものによって支えられている事実に謙虚に向き合うことで、真実が見えてきます。
川の流れは見えますが、岸の流れや、水底の流れは見えていません。
しかしそれが大きな流れを支えているのです。
そこに真実があります。

2011/10/24

タオの水 (5)

タオの中に「谷神は死なず」とある。
谷は水が生まれるところ、川となって流れ出すところ。
そこは生まれたばかりの新鮮な水が湧き出るところ。
生命エネルギーに溢れた水が集まるところです。

日本の地形を想像するとわかるように数え切れないほどの数の谷があります。
その谷のエネルギーは枯れることなく永遠であると言っているのです。
私はその谷を伝って流れる水の中に入って作品をつくってきました。
現在70歳、これだけ元気でいれるのは谷の満ちているエナジーを35年にわたって吸収してきたお蔭だと確信しています。

都会の緊張感を解きほぐしてくれるのも、
もつれた感情を整理してくれるのも、
先方の光を探すのも、やさしさを取り戻すのも、川沿いの道を歩いたり、
川岸で水の音を聞きながらお茶をしたり、
川に入り水と戯れることで内的なバランスを取り戻すことができます。
谷神は命を生み出すところ、だから死なない。

そして永遠の生命を約束してくれるのです。
是非、谷川の水を求めてお出かけください。

2011/10/21

タオの水 (4)

タオの働きは目に見えないが確実にある。
常に動いていて、永遠である。
そして、間違いなく変わっている。
どこかで何かが湧き出ている。その何かをつかむことはできない。
私はその何かの正体は水ではないだろうかと思っている。

水は35億年前から一定量がある。
水が絶え間なく動いてあらゆる物質に関わっている。
その水の関わり方が自然界を変化させている。
水は自然界の状況で液体・気体・固体と変化して物質に関わって内から影響を及ぼしている。
この動きこそ水の本質である。

人も生きるということは動くことであり、変化することである。
まず歩くことで、全身にエネルギーを循環させること、
同時に身体内の水に振動を与えることで生命エネルギーをスイッチオンにできる。
身体を使って体の芯から汗をかく。水は蒸気になって全身から発散する。
そして新鮮な水を補給する。

「ああ・・・水がうまい。身体が気持良い」この働きがタオである。
身体の中の水を動かしてみよう。

2011/10/17

タオの水 (3)

タオの働きは無為自然。自然にあるがままの力が最も良い。
人類はどうしても作為的に動かそうとする。

水は35億年前から存在していて、常に動きながら循環している。
水は流れるときも水にとって都合の良い流れ方をしている。
急勾配のところでは勢いつけて流れて行く。
野原を横切るときはゆっくりと流れて行く。

それが自然そのものなのだが、人は水の流れを制御しようと護岸工事をしてまっすぐ効率よく流そうとする。
それは人と自然の戦いになる。
そうすると水は想像以上の力で人工物を破壊する。

山で降った雨は急峻な川を一気に下り、
折角の天然水もたった3日で海へ流れてしまう。
もっとゆっくり流して日本の大地にしみこませる方法で河川事業はできないものだろうか。

大地が潤うことは動物も食物もすべての生きものが潤うことにつながるはずなのにと思う。
あるがままの自然が一番力を放出してくれる。
水も流れたいように流してあげることがいい結果につながる。
水はゆっくり流れて、大地に広く深くしみこんで、
多くの生き物たちの命を生かしたいと願っている。

2011/10/14

タオの水 (2)

水はすべてのものを生かし育てる。
水があるところ、そこにいる生きものを何が何でも生かそうとする水の力です。
昆虫でも植物でも何でも命を生かしてくれます。
そうすることが水の喜びです。

また水は自ら進んで低いところへ流れていきます。
水は動くことで自らを生かしています。
低いところはゴミや芥が溜まるところですが、
水はその低いところへ進んで流れて行きます。
一時とどまっているが、もっと低いところへまた流れて行く。
そこは地球で一番低いところ、広い海、
多くの仲間とゆったりと過ごすことができる所です。

これが水の願いです。
だから水が気持ちよく流れるようにしてあげなければなりません。
また水は天地を循環し地球を浄化しています。
これは地球を「いのちが集う星」として、地球が永遠でありますようにと、
自らを変身して潤いをもたらし浄化しています。

これは水の祈りです。
このようにタオでは水のもつ力を水の役割として表しています。
私が水の立場になって考えると、それらは水の喜び、水の願い、
水の祈りとなります。

2011/10/10

タオの水 (1)

※タオの文中に「タオの在り方に一番近いのは天と地であり、
タオの働きに一番近いのは水の働きである。」と記されている。

水がタオの中でどのように扱われているか?
その第一は不争としてである。即ち誰とも、何物とも対立しない。
すべてを受け入れ、対象物の思惑の中に交じり合う。
それでいて水の本質を失わない。

このような行為を即人間に当てはめたら、現代では負け犬になり、
生きていけないと反論されるだろう。
しかし本当にそうだろうか?

個人の主張だけが横行する現代だからこそ、誰とでも交わり、
それでいて自己の進むべき方向は毅然としていて、自己を見失うことは無い。
そのような生き方が尊い生き方だと自覚できる人は「タオの人」だと思う。

「タオの人」はしなやかで柔らかい。だからそう簡単には折れないし、
あきらめない、粘り強くやりぬく。
水は自由と寛容と浄化の神である。



※タオ: (どう・タオ・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。ウイキペディア参照してください

2011/10/03

パリ・スイスの水

16日~25日パリとスイスに行ってきた。
12月のルーブル展に出品する準備の為の旅だった。
パリは一年ぶりだが、ホテルでの水の硬さに閉口した。
入浴後の身体全体の皮膚が突っ張ってくるし、
顔のあちこちの皮膚がカサカサになり皮がむけてくる。
なるほど、だからオイルを多用するのだと納得した。

スイスでは節子さん(※1)のご自宅「グラン・シャレ」に御招きいただいて、
勿体なくも2晩泊めていただいた。

話題も多岐に亘り、夜遅くまで楽しく話し合いができた。
やはり外国の一流社会で一生懸命生きてこられた方の
お話しは身に滲みてくるものがある。

彼女の素晴らしさは50年にわたる外国生活の中で日本を忘れず、
日本人の豊かな精神性を大切に暮らしてこられたことだろう。
今でも日常はお着物で暮らされていて、犬の散歩も着物姿である。

彼女曰く、今の日本の着物はよそ行き用になっているが私の着物は普段着なのと仰る。
確かに日本の昔は日常が着物だった。
お台所も、お掃除も、庭仕事もみんな着物でした。

グラン・シャレではいっぱいのおもてなしを受けた3日間だった。
彼女の住む所は山の中腹にある村でした。
そこには透明な空気と鮮やかな色の草花に囲まれた素晴らしい暮らしがありました。
道には枯れ草の一枚も落ちていないきれいな村でした。
個人の家の一軒一軒が花に満たされ、まるで家の品評会でそれぞれが競って手入れをしているようでした。
何故これほどまでにするのかと聞きますと、その根っこには水がありました。

高地だからよく雨が降る、何物にも汚染されない。
従って空気がきれい、草花の色が際立って美しい。
日頃がそのような環境だから、こころもきれいになる。
そこでの暮らし方もおのずからきれいに、美しくあろうと心掛ける。
すべてが良い循環で流れている。
水の澄むところ、人も清らかになれる。その手本を見せつけられた。

※1 節子さん: 節子・クロソフスカ・ド・ローラで検索してください。