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2011/07/08

水は家族の一員だった

昔、日本の家には水甕(みずがめ)があった。
朝起きたら水甕のところに集まり、歯磨きする人、
顔洗う人、朝食をつくる人で混雑する。

水甕に入れてある水は家族の誰かが運んできたもの。
その運ぶ辛さを皆がわかっているから、使う水は大事に大切に使う。
まだ使える水は別の甕に入れて、草花や水撒きに使う。
そこの水甕に1人が1日7~8回は行く。水甕中心の生活なのだ。

また日本のお風呂は浴槽のお湯は汚さない。
外できれいに洗ってから、お湯に浸かる。
だから2~3日お湯焚きして使う。
そうして家族全員が同じお湯に浸かる。
即ち、水は家族の一員的な存在として扱われてきた。
西洋のバスタブは水を汚す。1人用として使う。
水に対する向き合い方が違う。

日本の水は日本人にとって対象としての物でなく、
身内の者という感覚が強かった。