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2012/06/16

水とダイアモンド (17)美しいもの

7月2日からの水の祈り展に私からのメッセージをここで披露します。
このブログを書き進んできて、今回はそれを書くことが筋だと思われるからです。


生命の働きは動的バランスである。
自然は絶え間なく動き、それでいて秩序ある流れがいのちを支える。
それを最も良く表しているのが水の流れであり、
水は常に変化しながら全体として平衡を保っている。 

動き、流れ、環って、己を浄化する。
生命の躍動する姿(時の流れ)を見たいと願い、
川の源流でその姿を捉まえる。 

天・人・地の絶対的な瞬間(The Absolute Moment)に天然の美が宿る。
美は生に通じ、いのちは美しい。

2012/06/12

水とダイアモンド (16)美しさを創る

ダイアモンドの美しさを創りだすには、カット・研磨が必用です。

カットは切ることですが何処を残すかを決めて切ります。
研磨は少しずつ削りながら形を整え、最後に面を磨き上げます。
一般的には形を作り出すことに精を込めますが、
私共では原石に内在する光の子供を取り出すというイメージを大切にします。

即ち美しさの本質は既に原石の中にあると言うことです。
外見をつくることで美しさが現れるのではなく、
内なる物を取り出すということです。
結果として外見も美しい仕上がりになります。
絵画でも、彫刻でも形を整える前に、その石、その木にある聖なる物に向き合うことが大切だろう。
それは見えていないものです。
形だけにとらわれていると中身のない虚ろなものに仕上がります。

見えているものは見えていないものの力に支えられている。

2012/06/09

水とダイアモンド (15)美しい輝き

輝きは美しさである。
きれいと美しさにはわずかばかりの違いがある。
水をきれいと言うが美しいとは言わない。
しかし水の流れは美しいと言う。
同じように光はきれいと言い、輝きは美しいと言う。

そう考える美しいとは、そのものの本質とか、
そこからの作用が人に影響をもたらし感情を良い方に刺激した結果が、
きれいとの表現の違いになっているようだ。
それにプラスして美しいという言葉の内側にはその人の持つ品格をも伴っているようだ。
対象物を良く観察し、咀嚼して、その人の内なるものと共鳴したことが大きな要因になっているだろう。

ダイアモンドの美しさも物質的、物理的なきれいさに、関わる人の内なるものとの共鳴、共振に支えられている事を知っていてほしい。
そういう人達にこそダイアモンドを持ってもらいたいと願うのである。

2012/06/05

水とダイアモンド (14)輝き

水とダイアモンド、二つの物質を対比してこのブログを書いていますが、
この二つに私は人生の大半の時間を費やしてきました。
よく人から、「何か共通することがあるのですか?」と聞かれます。
私も15年程前まではそこに何か関連することがあるなど考えが及びもしていなかったのですが、それが大有りで、生き物に最も大切な「いのち」に両方が関わっていることに気付くのです。

いのちの根源的な物質である炭素が結晶したダイアモンド・いのちが生きていく上で絶対不可欠な水。
そしていのちが生きることはダイヤのように輝くこと。
いのちが永遠であることは水のように循環すること。等とこの二つの物質は根源的なところで大きき繋がっていたのです。そこに人が果たす役割として、
関わり方の価値が生じてきます。このように書きますと宗教的と言いますが、
それは宗教を間違って捉えている人の意見であって、
年齢を重ねてくると自然とこのような自然観・人生を見る世界観が変わってくるのです。だから歳をとることはとってもいいことなのです。

2012/06/02

水とダイアモンド (13)チョッとブレイク・光と輝き

昨日スイスから大切なメールが届いた。
内容をご披露しよう。

「重富氏の‘流水紋‘は自我を捨てて、
水の流れと同一化して生まれた玄風な作品。
楽聖なる水の歌曲を響かせながら、急拍子の所作する流れの主影を浮かばせているのは、水の記憶を宿しているからなのでしょう。
(人は水滴・神は水なり)の言葉を思い浮かべました」
節子・クロソフスカ・ド・ローラ

7月2日から行なう{いのちの水に感謝・水の祈り展}に寄せられた節子さんからのメッセージです。
この言葉遣いと、洗練された文章に節子さんの光が溢れんばかりに輝いて見えます。輝きとはこういうことではないでしょうか。